書籍・雑誌

May 10, 2005

宮地正人「歴史の中の新選組」(岩波書店2004)

 新選組を学問として研究するって、かなり難しい事のようです。
何が史実なのか、風評に過ぎないものなのか。
風評であったとしても、それはそれで、そういう噂が当時流れていたという「史実」ではあるのですが、そういったデータに対する正しい評価や位置づけをした後にのみ、学問としては意味が有ることなんでしょう。この作業がなかなか大変なようです。
「本書の目的の一つは、新選組論における、歴史学の時代小説からの決別を試みるところにあり・・・」
「史実と虚構の居心地良い混淆状態」からの脱却と宮地先生は口をすっぱくして、くどい程にこの本の意図するところを述べていらっしゃいますが、それは、私のように小説やドラマで新選組に興味を持ってこの本を手にしたような輩に対してのかなり親切な仁義の切り方(^^;)とお見受けしました。
 ですから、一つ一つ論を進めるに当たっては、その都度史料を提示しているので、きちんと読み込むのは大変です。学生時代を思い出します。これは勉強の為の本です。おもしろさを享受する側にも努力が必要です(^^;)。
 でも、ところどころに筆者の新選組への学者である立場を離れた個人的な思いが表れているのかなあと思われる表現に出くわしたりします。
 永倉新八「新選組顛末記」に関しては、「理論家というより直情径行な剣客の語り口が・・・新聞記者の聞き取りと言う後日の創作との混同や記憶の摩滅、誇張やホラ話を差し引いても、充分に利用出来る好史料」なんてところでは、山口智充演じる永倉新八が記者相手に悪気なく虚実(本人の中では真実)とホラをない交ぜに話しをしている様子が目に浮かびます。
 近藤に関しては「ただ、近藤は、この場(流山での投降:のば注)において動揺するような恥ずかしい男ではなかった。新政府は薩長二藩の私的権力であるといいはなち、従容として斬首された」
 この近藤の助命に失敗した土方に対しては、「創立時の同志山南敬助を切腹させ、藤堂平助を斬殺し、永倉新八・原田左之助と対立してつき放ち、そして兄事し師事した近藤勇を死なせてしまったからには、何の面目があって故郷の多摩に帰ることができようか。」と、小説顔負けの熱い表現じゃーないですか。こんなところばっかり抜き書きされるのは、きっと筆者には不本意じゃないかと思いますが(^^;)。
 大人の新選組、幕末史ファンの方はぜひ一読を。
sinpachi


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March 14, 2005

イサク・ディ-ネセン「バベットの晩餐会」

映画の方でコメントを頂いたもとよしさんご紹介の「バベットの晩餐会」の原作本です。
短編です。映画はこの原作の筋をきちんとなぞっているんだなあと思いました。
が!
読後感は全然違います。
映画はほろ苦さの中にも幸福感が漂うようなラストでした。
映画の冒頭シーンは老姉妹を囲んでの村人達の集会、落ち着いた和やかな雰囲気の中にバベットがきびきびとお茶菓子とお茶を配る。微笑みながらバベットの給仕を受ける人々というものでいかにも平和なこの村の日常の一コマでした。
映画のラストの次の日はこの冒頭のシーンのような日常だろうと思わせるものがあったのですが、原作の方はもっと苦い。ラストの次の日は、映画の冒頭のシーンのような表情の姉妹とバベットがいるだろうかと不安になります。
何故かというと、原作の方のバベットは「芸術家」としての自負と挫折感を強調しているからです。
パリ・コミューンの支持者であり、自分の夫や息子をそれ故に失いながら、この運動を弾圧した上流階級の人々こそが自分の芸術を理解する人々だと、家族がいなくなったからというよりも、自分の芸術を理解する、その人々がいないパリには二度と戻らないと言うバベット。
芸術家ってなんて業の深いものなんでしょう。壮絶です。
フィリッパのラストの言葉、この言葉はフィリッパの歌の才能を認めて、彼女を「偉大な芸術家」にしたいと願ったオペラ歌手パパンがフィリッパに送ったものでしたが、この言葉をバベットの見事な料理と「芸術家」としての悲痛な決意を知ったフィリッパがどのような気持ちでバベットに捧げたのでしょう。
芸術家として最善を尽くす機会を与えられながらそれを選ばなかった罪を赦す言葉であったと、フィリッパ自身が気づいた瞬間だったのかもしれません。

イサク・ディーネセン 枡田啓介訳「バベットの晩餐会」(筑摩書房1989年)

babettogennsaku

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February 28, 2005

芸術新潮三月号〜隅鬼出てます!

芸術新潮の三月号に唐招提寺展の特集があって、そこに隅鬼の写真が掲載されています。全国の唐招提寺の隅鬼ファンの方々?要チェックです。
T様情報有り難うございます。
盧舎那仏、持国天の写真もありますが、全く人気の無い空間で撮られた写真は何か見てきたときと印象が全然違いますね。モデルさんの写真というか、ちょっと値の張るファッション雑誌を見ているような感じです。
見てきたときと印象どころか形状も記憶と全然違うやんけが隅鬼で、自分の記憶力のいい加減さにトホホ。なんかもっと立方体だったような気がしたんですが。
しかし、改めてじっくりと写真を見ながら、奈良時代のオリジナルと江戸時代に差し替えられた物を比べてみると、同じサイズの同じ形状の物でありながら、油絵と水彩くらいタッチが違うのが面白いです。

sumioni

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February 14, 2005

子母沢寛「花の雨」〜上野から蝦夷へ

落語に出てくるような威勢のいい江戸弁の啖呵が随所に散りばめられ、
子母沢寛の名調子が続きます。
主人公の伴鉄太郎はわずか三十俵の旗本、背中に入れ墨なぞを入れたりして
これまた落語に出てくるような気のいい与太者達の面倒を見ながら幕末の江戸で
行く行くは武家をやめて一庶民になろうなどと言っていたのですが、
この落語に出てくるような与太者達と一緒に幕末の争乱に巻き込まれ、
彰義隊に参加、そのまま函館戦争まで武士として、いや「江戸っ子」として
「田舎っぺぇ」の薩長軍と戦います。
「百姓の出にしては偉い男だが、百姓はやっぱり百姓」で「一番いい死に時がわからねえ」近藤勇、「只才智にたけた人物だとよりは聞いていなかったが決してそうじゃない。あの眼は本物だよ。信じた事へ飽迄真っ直ぐに進んでいく人だ」と主人公べた褒めの「洋服姿の小柄な大将」土方歳三も登場しますが、この小説で生き生きと描かれているのは、子母沢寛の祖父達をモデルにしたであろう主人公達と江戸っ子松本良順です。
旧幕府軍の病院が捕虜を敵味方無く介抱したり、函館政府として制限付きながらも,民主的選挙で政府役職を決めた事など、旧幕府軍でありながら、新しい国際的な視野と理想を持った国作りをしようとしていたエピソードなど、官軍の側からではない歴史と人の有様が描かれています。

子母沢寛「花の雨」〜「下母澤寛全集五」(中央公論社昭和三十八年)より

hananoame

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February 10, 2005

柏原兵三「同級会」〜「少年時代」の後日談

映画「少年時代」を見てから、少年達のその後はどうなったのかなあと、
特に子供達の間では暴君であったけれども、努力家で働き者で、
リーダーの座から失墜した後は潔い態度を貫いたタケシがどうなったんだろうと、
その後進二君と再会することが出来たんだろうかと、どーしても気になって、
映画と漫画の原作になった柏原兵三「長い道」の更に続編にあたる
「同級会」という短編を読んでみました。

映画と小説、更にこの短編と登場人物の名前や設定が変わっています。
特にタケシは映画では貧しい家の子という事が強調されていましたが、原作では隣町の
学校で教鞭を取る教員の子です(金持ちじゃないのは確かですが)。
兄弟の面倒をよく見て、祖父の漁の手伝いも良くする大人の受けの良い子という設定は
変わりませんが・・・。敢えてあざとく貧乏な家の子vs金持ちの家の子という構図に
する必要あったのかどうか。原作を読んでみると映画への違和感が出てきます。
映画を先に見たのは正解かもしれない。映画の良さを堪能出来たので。

武=竹下進(長い道)=永井福雄(同級会)と進二=杉村潔=梶潔とは、その後、
永井が高校時代に東京の予備校に受験勉強をしに上京したときに
一度会ったようですが、その時の様子は「彼は見違えるほど立派になっていた」
とあるだけです。
そしてその武=永井君は京都大学に入学し、日銀に就職が内定していた昭和31年に
日本脳炎で急逝しています。
「同級会」に出席したかつての級友達に、当時の暴君ぶりで酷い目に
会っていたとはいえ、そんなに早く死んでしまう奴と解っていたら、
あそこまで酷い私刑をしなくても良かったのではないかという悔恨と共に
思いでの中の人として語られます。

そうか。
タケシは、あの後、腐ることもなく道を踏み外す事もなく、
努力を重ねて京都大に行ったんだ、東京で進二に会えたんだと
ちょっとホッとしたような、でも結局、努力家の勝ち気な少年のまま、大人になることなく
死んでしまったんだなあと。
この短編を読んだ後に心に残る映像は、やはりあのヒトラーポーズで
進二を見送る映画のタケシだったりします。小説の中には無いシーンなんですが。

そして、進二=潔=柏原兵三も、千葉大医学部に一端入学するも東大教養学部に再入学、
その後、小説家となり芥川賞を取り、(この「同級会」は受賞記念に疎開先の
小学校の同級生が開いてくれたという設定です)その四年後、脳出血の為に38歳の若さで
急逝してしまうのです。

柏原兵三「長い道」(中公文庫1989年)
柏原兵三「同級会」〜日本文芸家協会編「文学1973」(講談社昭和48年)収録

takesi

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January 31, 2005

くらやみの速さはどれくらい

自閉症に限らないと思いますが、自分の子供に障害があると解ったときに
まず思うことは、「今現在、直す方法があるのか?」だと思います。
それが無いと言う事実に腹をくくったら、次に考えることは、症状を改善するため、
あるいは、将来、社会に適応しやすくするための訓練はあるのだろうか?
じゃないかなあと思います。

著者は自閉症のお子さんを持つ親御さんと知って、なるほどなあと
思ったのは、主人公の挙動、心理描写よりも、この「治療」「訓練」、そして
その為の「センター」といったものが、こういう子どもや家族の生活や
人生のある時期に、あるいは一生涯をかけて当たり前のように存在するといった
物語の小道具のリアルさです。
そして、障害を持った人に対する援助を「ずるい」「無駄」
と快く思わない人の言動や思考のリアルさ(^^;)。
これも著者が子育ての中での色んな人との出会いが生み出したリアリティでしょう。

この小説は面白い。
面白いし、「自閉症」の人がどのような 困難さを抱えているかを
理解する良いテキストにもなっていると思いました。
これを読めば、彼らは人との関わりそのものを拒絶したいと思っていたり、
そう思う能力が欠けているのではなく、
情報のインプット、処理の機能が異なっているために、
他人とのコミュニケーションの取り方や環境の認識の仕方に困難さを生じるのだと
解ってもらえるんじゃないかと。
 
こういう小説を読むたびに思うのは、所謂啓蒙を目的にした作品よりも
エンターティメントに徹した良品の方が、より多くの問題を
理解させる力を持っているなあと言うことです。
場合によっては、ドキュメンタリー以上の力があるんじゃないかと。
「レインマン」や「マーキュリー・ライジング」なども
「自閉症の理解」がこれらの作品のメインテーマでは無いのですが、
「面白い」作品を成立させる重要な「小道具」としてリアリティを持つように
正しく理解され、かつ愛情を持って描かれています。
作品を面白くするためのリアリティの追求が見ている人の
障害の理解に繋がっていくように思ったりもします。
(と書いてから、アマゾンの「マーキュリー・・」のエディターレビュー
〜「DVD NAVIGATOR」データベースより〜を確認したら、
「精神に障害がある少年が・・」とやらかしてあって、爆死(^^;)

自閉症の治療法があったらなあと思った事が無い親はいないと思いますが、
この小説を読むと、それがその子の幸せに繋がるのだろうか、とか、
そもそも幸せに生きるってどういうことなんだろうと考えさせられます。
幸せに生きるってそもそもどういう事なんだろうってのは
あらゆる人間が抱える普遍的な問いですね。
この問いかけを持っているからこそ、この小説は自閉症に関わる人以外の人の
心に響くものがあるであろうし、自分から見ると特殊な立場にあると思われる人々も
人間である限り、自分と同じようにより良く生きたいと切望していると、
その意味で「同じ」であると理解してもらえるのではないかなあと思ったりします。

と、考えるとラストはハッピーエンドでしょうか?
いや、著者はハッピーエンドと思って書いていないような気がしますが・・・。
じゃ、悲劇かというとそうとも言い切れないし・・。

すごく複雑。

エリザベス・ムーン「くらやみの速さはどれくらい」(早川書房2004年)

kurayami


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January 24, 2005

子母澤寛全集九〜彰義隊の末裔

「あ奴らゆすりかたり追い落としと、ふだんは悪い野郎どもだが、
洗って見れぁ江戸っ子だ、綺麗なきんたまを下げている。」
「頼まれたって田舎っぺぇにはつくめぇよ」(蝦夷物語)

子母澤寛の祖父は彰義隊に参戦して、榎本武揚について北海道に渡り
五稜郭まで戦った江戸の侍だったそうです。
その祖父から昔語りを聞いて育った子母澤寛の、徳川方についた侍達のその後が
人情話風に綴られています。
上記の威勢の良い江戸弁が随所に現れますが、負けた側の人間達の末路は
どこか寂しいです。
また、官軍になった「田舎っぺぇ」の残虐ぶり傍若無人ぶりもさらっと描かれていて、
司馬遼とは趣の違う歴史小説です。

市立図書館蔵の昭和三十八年初版(中央公論社)の物なので、
字が小さかった!のですが、読み始めるとおもしろくって、
すらすら読めました。
「蝦夷物語」「剣客物語」「脇役」そして、近藤勇が官軍に捕縛される
最後の数日を描いた「流山の朝」などが収録されています。
「流山の朝」で描かれている近藤勇は、三船敏郎の近藤勇を連想させる
ちょっとおっさんでウェットで実は立派な人な感じでしょうか?
この短編の中では、さすがに何度も土方歳三の名前が出てきますが、
それ以外の小説では、榎本の話題は何回となく出てくるのに、土方の名前は
二回くらい。(確か)
旧徳川方と北海道という組み合わせとくれば、土方歳三というイメージだったので
これは意外。
子母澤寛のおじいちゃんにとっては、あんまり縁の無い人だったんでしょうか?
wakiyaku

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September 17, 2004

燃えよ剣

img019.jpg

司馬遼太郎が描く土方歳三、エロいです。
エロいですが、ストイックです。
余談・・・ってのが少なくてw、司馬遼太郎っぽくないなあと
思いながら読んでいたのですが、鳥羽伏見あたりから俄然司馬遼でした。
幕末の有名どころの登場人物が増えてくると、なんかここ読んだことあるかもの
デジャブー感があります。
大河の新撰組!のキャストを思い浮かべながら読んでも違和感無しでした。
この小説あたりも新選組!の隊士像のルーツなんだろうか。
近藤勇だけは、田舎の市会議員的な描かれ方をしているので
ちょっと香取慎吾さんじゃないかも。

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